社会福祉法人町田市社会福祉協議会
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Q137 友達と話すと小さいウソをついてしまう。

私は、友達と話すと小さいウソをついてしまいます。
友達を笑わせるためにウソをついてしまったり、紛らわすためにウソをついてしまったり、ウソ自体は小さいことなのに、ウソをついた後の罪悪感(ざいあくかん)がとても大きいです。
ウソをつかないようにするにはどうすればいいですか。

回答

メール、ありがとう。まず「なぜ、小さなウソでも大きな罪悪感(ざいあくかん)を感じるのか」は難問です。
そもそも「なぜ、ウソをついてはいけないのか」を考えてみましょう。
ある人がウソばっかり言っていたら、その人は周りから信用・信頼されませんね。また、みんながウソばっかり言っていると社会は成り立ちませんね。
では、一つぐらい、小さなウソならいいのでしょうか。「どんな理由があっても、絶対、ウソはダメ」と言ったのは有名な哲学者カントで、ウソは道徳的に罪なのです。
しかし、「友だちや家族を助けるためにやむを得ず、ウソを言うことがあるだろう」と大論争がおきました。今の社会では、社交的・習慣的なウソ(友人から、「元気?」と聞かれて、落ち込んでいても「元気!」と返すなど)や尊厳(そんげん)を守るためのウソ(プライベートなことを聞かれて本当のことを答えたくないなど)は社会に許容されています。
あなたがウソを言うことに罪悪感(ざいあくかん)を感じるのは、社会的な「罪」や「悪」の意識でなく、ウソを言う自分に不誠実さを感じているからではないでしょうか。ただ、何がなんでもウソを言わないようにする、事実・真実のみを話すようにすると(例えば、プライバシーの問題)、逆にその人を傷つけることにもなりかねません。生死に関わるような深刻な状況でない日常的な場面で、相手や自分の尊厳(そんげん)※を大切にするためにウソが使われるとしたら、そのウソは許されるでしょう。
こんな時はウソを言ってはいけないな、この場合はウソを言ったほうがいいかな、など「自分なりのルール」を考えてはいかがでしょう。また、本当のことを言えないが、ウソも言いたくない場合は、何も言わないことも一つの選択肢です。

※尊厳(そんげん): すべての個人が互いを人間として尊重する、人を人として尊重すること。具体的には、個人の権利や価値を貶(おとし)めないこと。

回答

ウソをついてしまうことに罪悪感(ざいあくかん)を覚えてしまい、悩んでいるのですね。なかなか言い出しづらかったかもしれないけれど、こうしてここなびに教えてくれて本当にありがとう。まずは、こうして相談できたことが第一歩だと思います。笑わせるため、紛らわせるため……ウソをつく理由は人を傷つけるためではないのですよね。どうしてその時ウソをつく必要があったのか一緒に考えてみましょう。笑いがないといけないような、紛らわせないといけないような、何かそんな状況があったのでしょうか。~しなくてはいけない、と考えると苦しくなってしまいます。そのままの自分で友達と向き合うことは勇気が必要かもしれませんが、こうして相談できた勇気あるあなたなら大丈夫。そのままの自分は、ウソをついて少しよく見せた自分よりもずっとすてきですよ。ここなびも応援しています。

回答

相談してくれてありがとう。あなたがウソをつくことに罪悪感(ざいあくかん)を抱いているということからウソはついてはいけないときちんと理解している人なんだなと感じます。

うそにも色々な種類がありますね。人を安心させるためにつく優しいウソや、あなたの言うその場を和ませるためや人を楽しませたいと思い思わずつくウソ、このようなウソならついたことがあるという人はたくさんいると思います。つい自分を守りたいという弱い気持ちからついてしまうウソも、良いものではありませんが時についてしまうのが人間という存在であると私は思います。

けれどウソをついてしまったことに罪悪感(ざいあくかん)があるかないかは全く違うと思います。罪悪感(ざいあくかん)を抱きながらつくウソであなたが苦しんでいるなら、ぜひ自分に無理をしないでウソをつかない、そのままのあなたにまず自信を持ってください。あなたが無理して話を楽しくしようとしてウソをついていても、あなた自身が楽しんでいなければきっといつか相手に伝わるはずです。ウソをつきそうになったら一度そのウソを意識して飲み込んで見てください、そしてゆっくり会話をしてみてはいかがでしょうか。

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