社会福祉法人町田市社会福祉協議会
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町田のいいとこ再発見! PartⅡ

行ってみよう

町田に残る”縄文のストーンサークル”へ

 小中学校を町田で過ごした皆さんには、もう既に知っていることかもしれないと思いつつオススメします。縄文時代の町田に住んでいた人々が創り上げた”ストーンサークル”その場所に立って町田のご先祖様たちの、思いや考えにふけるひと時の旅をご家族の方と一緒にしてみませんか?

オススメ1 田端遺跡のストーンサークル
      〔正式名称:田端環状積石遺構(たばたかんじょうつみいしいこう)

 昭和43年3月12日町田市小山にあった旧小山小学校から500m位離れた畑を耕しているときに、たくさんの石塊群ができて調査が進められました。

ストーン

 大小の石を1m位の帯のように積み上げて楕円形の環(わ)になっていることから、「環状積石遺構」と名前がつけられました。縄文の後期に共同墓地と祭りを行った場所であることがわかっています。ストーンサークルに立つと、境川を挟んで、相模台地・丹沢の山並みそしてわずかながら富士山頂も望むことができます。

 私は、7年程前の冬至の頃、Aさんから「冬至の日の夕方に、田端にあるストーンサークルに立って丹沢のほうを見ると、蛭ヶ岳の山頂にちょうど帽子をかぶせたように太陽が沈んで行くのよ。神秘的でじーっと陽が沈むまで見ていた。」と聞かされ、私もと思いつつ冬至を逃しています。

今年こそは!
今年の冬至・・・2007年12月22日(土) ※行くなら、大人の方と一緒にいきましょう。

オススメ2 石積み式横穴墓
      〔名称:久保ヶ谷戸横穴墓(くぼがやどおうけつぼ)

 平成9年町田市小山町で日本で最も長いと思われる墓道を持つ巨大な横穴墓が発見された。自然の丘を墳丘に見立てたかのように1基だけ、しかも石室を模したような施設を持つ「古墳のような横穴墓」です。

 埋葬された人は、富も部下も十分に持つリーダーであったにもかかわらず、高塚式古墳を築く事が許されない「位」の人だったのかもしれない。古墳時代の町田の開拓は、このような人々によって進められたらしい。(アサヒタウンズの記事より)

双方とも複製保存されたものを、見ることができます。
京王相模原線「多摩境駅」からそれぞれ10分~15分位

楽しもう

祭り

まつり 「村の鎮守(ちんじゅ)の神様の今日はめでたいお祭り日、ドンドンヒャララドンヒャララ・・・」と始まるお祭りの歌。「祭り」ということばを聞くと、おみこしが目に浮かび、この童謡(どうよう)のようなおはやしが聞こえてきて、ワクワクしそうですね。あなたも地域へ出かけ、人とのふれあいを通して、大いに楽しみ、心をかよわせてほしいな。

 祭りはもともと、地域にある氏神(うじがみ)様を祭ることから始まりました。神様をおむかえしてたくさんのごちそうをおそなえし、にぎやかな音楽や舞(まい)でもてなし、豊作や、地域の人々が安心して暮らせるようにとお祈りしたのです。

まつり 今では、氏神様とは関係のない「祭り」も盛んに行われるようになりました。自治会や子供会を中心にした祭りや、商店街などを中心にした「○○まつり」などです。祭りのはなやかさや、にぎやかさの面を強調したものです。その中でも「フェスタ町田」は、たくさんの出会いや発見を通して、町田の新たな魅力を求めて創られたもので、今年で21回を迎えます。
★今年のフェスタ町田・・・2007年9月15日・16日

町田でも、地域によって昔ながらの素朴な地域の祭りが市内各地で伝えられ、息づいています。2つご紹介しましょう。

町田天満宮秋季例大祭 2007年9月23日(日)・24日(月)
 菅原道真公をおまつりする町田天満宮の例大祭。たくさんの町内みこしが町田街道などを練り歩きます。見応えがあり楽しいですよ。

相原諏訪神社例大祭  毎年8月第3日曜日
 「相原のお諏訪さま」「丸山のお諏訪さま」として親しまれています。夕方明るいうちから、町内会の山車(だし)が見物に訪れた大勢の人でにぎわう祭りの夜を盛り上げます。

♪気づいてくれたらうれしいな♪

 住民が一体となって行われる祭りができることはそこの地域住民の誇(ほこ)りです。地域を支えるお年寄りの方の理解と豊かな経験、祭りを企画運営(きかくうんえい)する保存会、若い方たちの情熱(じょうねつ)など。

 こうした地域ぐるみの協力や支えがあって、祭りを盛り上げていくことは、実にすばらしいことですね。祭りのしきたりや伝統行事をさらに次の世代へとつなげ、受け継がれていくことはとても大切なことなのよ。

調べてみよう

粉(こな)文化圏だった町田

うどん昔の人は「食べ物は人を傷つけない」と言いました。
食べ物は体を作り、心も育てました。
今、体を傷つける食べ物も出て来ています。
心を傷つける食べ方も・・・。
おばあちゃん達の時代、ここ町田の食文化はどうだったのでしょうか?
おばあちゃんに聞いてみました。

  • 町田は「粉文化」だったって聞いたけど、お米はとれなかったの?
  • 町田は谷筋に水が流れてお米も採れたよ。でも、お米は高く売れるから売ってしまって、毎日の夕飯はうどんだったよ。お祝いの時にご飯が出るとうれしかったもんだよ。
  • うどんって、それが粉文化ってこと?
  • うどんは小麦で作ったからね。大麦は麦飯にしたね。もっと古い時代だと粟・ひえ・大根めしだったそうだよ。うどんだけじゃなくて酒まんじゅうも良く作ったから、小麦粉の粉文化っていうのかね。
  • 昔はね、うどんを打てないと嫁に行けないと言われたよ。
    ところで、町田でソバと言えばうどんのことだったの知ってるかい?
  • ※明治以降、製麺機ができて、本来ソバ用だったものを使ったため、細うどんとなった。
     太うどん(北多摩・埼玉方面) 細うどん(南多摩・八王子方面)
  • よそでソバと言って、それはうどんだよと笑われたことがあったよ。
  • じゃ、本当のソバは何て言ったの?
  • 黒いソバって言っていたよ。
  • おばあちゃんの作る酒まんじゅう、この間学校に持っていったら美味しいって評判で鼻が高かったよ。
  • 酒まんじゅうは、山梨の上野原から川崎のあたりまでで盛んに作られたんだよ。糀の管理が命で、ここが主婦の腕の見せどころだったんだよ。
  • せっかちなんはイーストを使ったけれど、いまいちの味だよ。
  • 酒まんじゅうは、夏の食べ物だったの、知ってるかい?
  • えっ、だって冬に湯気がたってると買いたくなるじゃない
  • 今はそうだね。昔は設備が整ってなかったから、糀の発酵に必要な高温多湿な夏に作られたんだよ。私も最初に教わった時には熱中症みたいになったよ。ムシ暑くて大変だった。
  • 酒まんじゅうは、ご馳走だったんだよ。今度一緒に作ろうか?
  • うん。教えて。友達に持っていってあげようかな。

皆さんもおばあちゃんやおじいちゃんに話しを聞いてみてください。きっと面白い話しがきけますよ。

★これらのことは、町田の農家の話ですが、時代によって、またそれぞれの経済状況によって違っています。

相談員

町田で生まれ育ったおじいちゃんやおばあちゃん、博物館や民権資料館など、施設の学芸員の方に町田の「今、むかし」についておたずねするのもよいでしょう。

町田という地名のいわれ

次のような説がありますが本当でしょうか?

  • 今の本町田あたりから田が開けはじめてそれがきちんと区画されるようになったから。
  • 昔は、マチとイチは区別のないことばでした。古くから市が盛んだったのでそこから町田に。
  • 市には「市の神」がまつられます。その祭りの費用にあてられる田を「祭り田」といいます。これが祭田(まちだ)になったのではないか。

★お年寄りや学芸員にたずねるときは、原町田、森野、金森、成瀬、小野路、野津田、山崎、木曽、相原、小山など、あなたが住んでる「字(あざ)」の「いわれ」も聴いてみましょう。

町田の民話(ひと・動物に関わるもの)

 昔から語り継がれてきた昔話(民話・伝承)は、その土地に住む人にとって心のふるさとなのです。町田には、次の民話が残っています。他にもないか聴いて見ましょう。

原町田野盗塚物語成瀬狐の呼び出し など
図師町送り狼の恩返し など小川なずな長者伝説
下小山田町コガラ山のむじな など小野路町家までついてきた狐 など
相原町生き埋めにされたご両部さま大蔵町花嫁に化けた狐
上小山田町比丘尼(ひくに)の墓 など山崎町山崎の狐火 など
高ヶ坂ついてきた狐 など広袴町消えた花嫁行列 など

★お話のすじを知りたい人は、町田市立図書館においてある「町田の民話と伝承」第1集、第2集にのってるよ。

町田の昔の子どもの遊び

 昔の子どもが遊んだ遊び、今も受けつがれている遊びがあります。

春の遊び四つ葉さがし・草笛・笹笛・れんげの首かざり・ざりがに釣り・ぐみとり など
夏の遊びどきょうばなし・おどかし穴ごっこ・杉鉄砲・麦わら細工・ほおづき など
秋の遊び影ふみ・山芋ほり・どんぐりごま・蜂の子とり・いなごとり・栗ひろい など
冬の遊びこままわし・かまくら・ゴムとび・竹馬・あやとり・おしくらまんじゅう など
四季の遊びかくれんぼ・鬼ごっこ・缶けり・だるまさんがころんだ・馬とび など

町田の自由民権運動

 明治維新後、多摩地区の自由民権運動の中心は町田でした。全国でもめずらしい自由民権資料館が野津田町にあります。町田市野津田町897神奈中バス、袋橋または、綾部入口下車
  042‐734‐4508

★町田市の小学校を卒業した方は、記念に頂いた「町田の歴史を辿る」を読んでから聴きに行くとよく分かります。