ここなびを見てくれている方で、東日本大震災(だいしんさい)で被害(ひがい)に遭(あ)われた皆(みな)さまに心よりお見舞(みま)い申し上げ、1日も早い復旧(ふっきゅう)・復興(ふっこう)と皆さまのご健康をお祈(いの)りしています。
昨年6月からここなびの特集では、『震災』を大きなテーマとして「地震日頃の備え」、「思いやりの心」、「地球温暖化・節電」の内容でお伝えしましたが、みなさんにとって自分自身の問題として考えてもらえる機会になったでしょうか?
今回は、ここなび相談員 つくし・あすなろ・ねむのき・ひまわり・ポッケ・いちごの6名から東日本大震災から学んだことや感じたことなどをみなさんへのメッセージとしてまとめましたので、読んでみてくださいね。
つくし相談員からみなさんへ
「東日本大震災から学んだこと」
マグニチュード(M)7クラス以上の首都直下型地震が数年以内に高い確率で発生すると、東京大学地震研究所がまとめました。
多摩地区周辺には立川断層もあります。もし、東京湾北部地震(仮M7.3)が発生すると、町田市も大きな被害をこうむります。そこで、東日本大震災から学んだことを列挙(れっきょ)してみます。
①大地震や大津波の歴史に学ぼう!
869年貞観の地震・大津波(三陸沖M8.4)、1703年元禄地震(M8.1) 、1707年富士山噴火、1855年安政江戸地震(M6.9)、1923年関東大地震(M8)、1995年兵庫県南部地震・阪神淡路大震災(M7.3)、そして、東日本大震災など、大地震・大津波は繰り返しやってくることを歴史から学びとり教訓にしましょう。また、地震の被害や津波の高さ、速さも予知できると言われています。
②備えあれば憂(うれ)いなし
ア)ぐらぐらっと突然の地震!誰だって慌(あわ)てます。でも、いろいろな場面を想定し、どうするか、日ごろから考えておくと安心です。例えば、室内(食事中・トイレにいるとき・夜、寝ているとき)、学校(理科の実験中・授業中・校庭で遊んでいるとき)、屋外(地下街を歩いているとき、オフィス街を歩いているとき)など、対策を考えておけば、冷静な行動ができます
イ)わが家の地震対策について、家族で話し合ったり準備したりしておくと安心です。例えば、私の家では、避難場所の小学校まで道順の確認、家具の転倒防止、緊急避難用のリュックの中味(懐中電灯(携帯ラジオ付)、ライター、ビニール袋、救急キット、ウェットティシュ、電池、飲料水)の点検をしています。また、東日本大震災の教訓から家族がバラバラになったときの集合場所を決めています。特に、救助や支援物資が3日間は届かない所があったので、乾パンなども備えました。
③皆さんの力を地域や避難所で発揮しましょう。
東日本大震災では、どの避難所でも自主的に活動する中学生・高校生の姿がありました。頼もしい姿に心を打たれました。今、町田市も少子高齢化が進んでいます。中学生・高校生の役割や期待は大きいと思います。皆さんのリーダシップが、避難生活者や地域に元気や活力を与えてくれるからです。近隣のお宅に高齢者や障がい者がいないか、目配り心配りをして欲しいなと思っています。
④家族、友達、地域の人々などとの連帯や絆を大切にしましょう!
人は、一人では生きられないとよく言います。特に、震災では、被災者同士、被災者とボランティア、被災者と行政の方々が、お互いに支え合い、助け合い、信頼し合うことが大切です。東日本大震災でも、このような情景を見ると胸が熱くなりました。その根底にあるのは、家族や地域(町内会・自治会)の連帯や絆です。それは、皆さんの日ごろからの近隣の方々との挨拶から生まれると思います。
⑤どうしたら「生き抜くこと」ができるかを考えよう!
東日本大震災では、たくさんの子どもが犠牲になりました。地震では、物が落ちたり建物が壊(こわ)れたりします。怖(こわ)いのはその後です。出火やがけ崩れ、そして津波です。日ごろから、通学路などに危険なところがないか、高い所はどこか、確かめておきましょう。人の命は、地球より重いと言います。どうしたら生き抜くことができるか、体だけで逃げ自分の命は自分で守ることに心がけましょう。
⑥文明の利器、原子力発電の光と影
原子力発電は、電力のコストが安い。しかし、放射能などの被害が甚大(じんだい)です。まだ、故郷に戻れない人々がたくさんいます。避難先を転々と8カ所も変わった人もいます。代替エネルギーが、課題ですね。
あすなろ相談員からみなさんへ
「東日本大震災に学ぶ」
東日本大震災で皆さんはどのようなことを学んだでしょうか?
今年の3月の今日の日まで毎日、大震災とこれによって受けた被災地の様子やそこに暮らす人達の生活についての報道がなされています。
このような情報から私たちは様々なことを学ぶことが出来ました。これらの中には、私たちが日頃忘れていたり気づいていなかったこと等がとても沢山あるのではないでしょうか。地震や火山、台風や大雨等の自然災害の多い日本に住む私たちは、どのような対策や心構えが必要か、しっかりと考えておくことが大切です。
特に中学生の皆さんに期待したいことをあげておきました。
(1)学校や地域(町内会・自治会や市等)の避難訓練や防災訓練には、進んで参加しましょう。
学校では、地震や火災を想定した避難訓練が計画的に行なわれています。これからは、今まで以上に真剣に取り組むようにしましょう。そして、万一の場合には、先生の指示に従って落ち着いて避難行動が出来るように訓練しておくことが大切です。体の不自由な方や車いすの方への対応の仕方についてもぜひ学んでおいて欲しいです。町田市社会福祉協議会の中の町田ボランティアセンターで教えてくれるので相談してみてください。(TEL 042-725-4465)
また、毎年、「防災の日」などに実施される町内会・自治会や市等の避難訓練や防災訓練にも進んで参加しましょう。地域の人達と協力して様々な防災活動に参加することは大変重要なことです。特に、中・高校生の皆さんは様々な防災に関する知識があり、また体力も大人並みにあるので、非常時には地域の人達の大きな手助けになって欲しいと思います。
(2)日頃から近所の人達とのつながりを深めておくように心掛けましょう。
東日本大震災では、避難の時には、隣近所で声を掛け合って行動したり、助け合って行動する等の状況がよく見られたようです。日頃からの近所の人達の間(あいだ)のつながりがあることが幸いしたのかも知れません。私たちの場合はどうでしょうか。ちょっと考えてみてください。いつも挨拶しあったり、言葉を掛け合ったりしているでしょうか。もし、‘あまりしていないな’と感じたら、勇気を出してやってみてはどうでしょう。きっと、気持ちのよい返事が返ってくると思います。被災地の人達は、近所の人達との強い“絆”(きずな)が、非常時の際にはどのようにお互いの助けになるかを身を持って体験したそうです。
(3)非常時の際の様々な事態に備えて、家族で話し合いをしておきましょう。
昨年6月に掲載した特集『震災』では、地震への日頃の様々な備えについて扱ってあります。東日本大震災での教訓を活かして、家族全員で‘我が家の日頃の備え’について話し合いの上見直しをしておきましょう。もし不十分な所があったら、直ぐに補うようにしましょう。特に、交通通信が使えなかった場合には、どのようにしてお互いの安全を確認し合うか、は家族全員にとってとても重要なことの一つです。地震は何の前触れもなく突然やってきます。西日本(関東地方も含む)を襲う巨大地震も予想されています。日頃から、物心(ぶっしん)共に、様々な災害に備えておくことが大切なのです。
ねむのき相談員からみなさんへ
「震災―家族―きづな」
今年1月、宮城県の河北新報の新聞記事に「高校生が東日本大震災直後の不便な生活の中での生徒の生活実態と心理状態を調査」の記事を読み、ぜひ、ここなびを見てくれているみなさんにも紹介したいと思い、調査を実施された宮城県宮城広瀬高等学校生活研究部顧問の三村敦子(みむらあつこ)先生にご協力いただき調査結果の一部をここなびに掲載しました。
この調査は、宮城県宮城広瀬高等学校の生活研究部が震災を経験した同校生徒の意識調査をした結果です。宮城広瀬高等学校は仙台市の郊外西北に位置し作並(さくなみ)温泉や山形県東根(ひがしね)市へ向う国道45号線沿いにあり在学生約830人の男女共学校です。東日本大震災では津波被害は無く、地震によるライフライン破壊がありました。今回の調査は、同校の生活研究部顧問の三村(みむら)先生の指導の下で生活研究部の部員が、2011年7月に2~3年生(震災当時は1~2年生)455人を対象に震災時の生徒の生活実態と心理状態を把握し、今後に生かそうと企画し、調査を行ないました。アンケートの回答は、ほぼ全員の生徒から得ることができました。
Ⅰ:対象になった高校生の家庭環境について
家族人数(平均4.7人)
きょうだいの数(平均2.5人)
Ⅱ:震災発生の3月11日から4月21日の学校再開までで生活に困ったこと(複数回答)
1)都市ガスの供給停止で「風呂」が使えなかった。
2)電気が灯かなかった。
3)断水。
4)ガスが使えなかった。
5)携帯の充電が出来なかった。
6)ガソリン不足。
7)トイレの水がでない。
8)並ばないと買い物が出来ない。
9)電車が動かない。
10)部活ができない。
Ⅲ: 災害時における生徒の気持ちについて
同校では校舎には大きな被害はありませんでしたが、ほとんどの生徒が地震を経験しライフラインの寸断などの被害を受けています。また、一部生徒の自宅が津波被害を受けました。
「家で一番頼りになった人」として、普段特に子供とのコミュニケーション不足が指摘される父親が震災下では、存在感が大きかったことがアンケート結果からうかがえます。
震災時の気持ち(単位:人)
安否確認にかかった時間(単位:人)
安否確認の手段(単位:人)
家で一番頼りになった人(単位:人)
災害時に生き抜く力
震災から得た教訓
Ⅳ:この災害をとおして最も悔しかったこと
1)多くの人が亡くなった
2)津波の被害が大きかったこと
3)自分の無力さ
4)家が地震や津波の被害にあった
5)家族や友人が被害にあった
6)ボランテアに参加出来なかった
7)大切なものが壊れたり無くなった
8)政治家の動き
9)予定が崩れた
10)部活ができなかった
Ⅳ:この災害をとおして最も悔しかったこと
1)多くの人が亡くなった
2)津波の被害が大きかったこと
3)自分の無力さ
4)家が地震や津波の被害にあった
5)家族や友人が被害にあった
6)ボランテアに参加出来なかった
7)大切なものが壊れたり無くなった
8)政治家の動き
9)予定が崩れた
10)部活ができなかった
Ⅴ:この震災をとおして最も感動したこと
1)家族や地域での助け合い
2)各地から被災地への支援
3)停電期間の星空が綺麗だった
4)家族や知人の生存
5)人のやさしさ
6)ライフラインの復活
7)食べ物の大切さ
8)ボランティアをして感謝された
9)津波から逃げることができた
10)人間の生命力
Ⅵ:このアンケートを指導した生活研究部顧問の三村(みむら)先生の話し
「生徒は被災生活を通じて、現代の便利で豊かな日常生活の中で失い、忘れかけていた生活の基盤となる食料・水・住まいなどの大切さ、家族を始め人と人の絆や助け合いの大切さに改めて気づかされたようです。この震災で失ったものも多かったが、これからの若者達が人間として生きるうえで最も大切なことに気づいてくれたことは、何事にも変えることのできない収穫であったと思います。被災経験者としてそこで感じたことを、これからの生活の中で役立てて欲しいと思います。」
Ⅶ:ねむのき相談員が、このアンケートを読んで感じたこと
1)両親への評価が高いのには意外な感じを持ちました。毎日の生活の中では認識していませんが、親の存在感を無意識に感じていたのが、災害を経験して意識化したのでしょうね。この数字を見て子供達と両親との関係は健全なのだと安心しました。子供の両親への信頼感はすなわち親の子供への信頼感へ連がりますからね。
2)大震災を経験して人と人との関わり合い、結び付き、新たな出会いなど等、今までの生活で無かったことを沢山経験して、生徒個々人が大きく成長した様子が読み取れます。どんな大人に成長するのか愉しみですね。
3)災害時のライフラインの断絶、家族との連絡が長く取れなかったこと、災害を乗り越えるには何が必要か、「生と死」を自分のものとして体験したことはこれからの人生にとても役立った得難(えがた)い経験だと思いました。
4)生徒の家族の人数が平均4.7人、きょうだいの人数が平均2.7人と予想外に多いのには驚きました。町田市の学校の実態はどうなのかな?調べてみませんか?
5)アンケートの中で「停電期間の星空が綺麗だった」があり、災害を受けて呆然(ぼうぜん)としていたときに何気なく夜空を見上げたのでしょうね。広大な宇宙を見上げて何を感じたのでしょうか、とても印象強く感じました。
(資料提供:宮城県宮城広瀬高等学校生活研究部)
みなさんは宮城広瀬高等学校生活研究部がまとめられた調査結果を読まれてどう感じましたか?
もう一つみなさんに家族や人と人との絆が感じられる話をお伝えしたいと思います。この話は、岩手県の南部宮城県境に近い海岸沿いにある市で実際にあったことです。
「お母さんの決意」
背景
震災が発生した3月11日に女性Aさんは市内の勤め先から車で避難しました。夫は10歳の息子と5歳の娘を連れて指定避難所の市防災センターに避難したようでした。
1週間後夫と息子の遺体が市防災センターで見つかりました。しかし、長女は見つからなかったため毎日避難場所を必死の思いで探し廻りました。震災から1ヶ月後に自宅に戻ったところ親子3本の鯉のぼりを見つけました。長女が自宅に迷わずに帰れるようにと、自宅脇に鯉のぼりをかかげて待ち続けました。6月になり長女の遺体が見つかりましたので、3人の葬儀を行いました。
Aさんの話
震災翌日から家族探しのために避難場所を巡り歩きましたが、しかしながら家族とは会うことはできませんでした。大きな地震と津波に驚きながらも、家族は必ず生きていると思い夢中で探しました。夫と長男は市防災センター2階で遺体で見つかり、約1週間後に遺体安置所で対面できました。しかし、娘さんと会えずに探し続けました。この時Aさんは「夫と息子が亡くなったことは現実と受けとめる反面、娘は何処かで誰かに育てられて生きているんじゃないか、娘が帰って来た時に家を迷わないようにしてあげたいとの思いで鯉のぼりを揚げました。母親として出来る限りのことをしたかった」という気持ちだったそうです。6月に入り娘さんが遺体で見つかりました。その夜は一晩中娘さんを抱いて、涙を流しながら話かけて、イッパイ沢山会話を交わしたそうです。3人の家族の葬儀が終った時にAさんは、自分が独りで生きてる希望と意味を持てなく、家族のいる所へ行き皆と一緒に暮らしたいと考えていました。そんな時に支援ボランテイアに出会い「娘さんと再び会えて良かったですね。娘さんとの会話をたくさんなさっていかがでしたか?」と聞かれました。その時にAさんは心の中で娘や家族とは好きなときに何時でも会えるのだ、そうして死んだ家族を供養(くよう)するのは私しか居ないのだとハット気付きました。
Aさんはこれからは家族を供養(くよう)するために生きて行こうと決意しましたと力強く話してくれました。
ひまわり相談員からみなさんへ
「東日本大震災から学ぶ―命を大切に・絆を大切に―」
昨年3月11日の東日本大震災から私達はたくさんの事を学びました。
その中でも私達がこれからもずーっと忘れてはいけないことの一つに「命の大切さ」ということがありますね。
東日本大震災では、今もなお行方が分からない人を含めると、二万人近い方たちの尊い命が犠牲になりました。この二万人の方たちには、それぞれ家族があって、親戚があって、大切な友だちや仲間がいたわけですから、失われた命の何倍もの人々が、大切な命を失って深い悲しみを体験しているわけです。
この地震によって、皆さんと同じくらいの年齢のお友だちもたくさん犠牲になりましたね。また、お父さんとお母さんの両方を亡くされたお友だちも140人余りにのぼり、お父さんお母さんのどちらかを亡くされたお友だちは1,000人余りにのぼると言われています。私達はこの辛(つら)い体験をしたお友だちのことをこれからもずーっと忘れてはいけませんね。このようなお友だちの為に何か出来ることはないだろうかと考え、出来ることを実行していきたいものですね。
皆さんも、もしも自分が震災にあって命を落としてしまっていたら、あるいは、今日突然にお父さんやお母さんが地震で死んでしまったら・・・とちょっと考えてみてください。どんなにか悲しいことでしょう。どんなにか不安なことでしょう。
お父さんやお母さんや家族と一緒にいられること、そして毎日当たり前のように学校に行ってお友だちともあえることは幸せなことであるということに改めて気付いて感謝の気持ちを持って欲しいと思います。そして今まで以上にまず自分のかけがえのない命を大事にして、家族や友だちとの絆を大切にしていきたいですね。
ポッケ相談員からみなさんへ
「震災から一年 今、何を想う」
日本という国は好きですか、この地に住む人や動物たちは好きですか。
私は大好きです。四季がある日本。優しさや思いやりがある人と動物たち。
昨年起きた想像を遙(はる)かに超える自然の力は、この日本を襲った。
大地も人も動物ものみ込み、目には見えない夢や希望や目標までものみ込んだ。
そんな1年が過ぎ去り、今、みんなの心の中に何が宿っていますか?
「震災」は、想像を遙(はる)かに超える破壊力だった。“もの”をのみ込むだけでなく、目には見えない、人や動物たちの心までものみ込んでしまった。この出来事で得たものは、絶望という言葉が似合う、辛(つら)さ、悲しさ、苦しさだった。
そんな人々の心に寄り添ってくれたのは、子供たちの笑顔や優しさだった。
子供たちは大人たちが抱えた絶望を、笑顔という最大の贈り物で包んでくれた。
ありがとう。ありがとうね。
その思いを込めて、今、大人たちは少しずつ少しずつ歩み始めています。
子供たちに、夢や希望そして目標をいつまでも輝かして欲しいから。
あなたの夢を、希望を、そして目標を、ずーと、ずーと応援しています。
失ったものは取り戻せないけど、夢や希望や目標は誰も奪うことはできません。
あなたの心の中で育てて、目に見える形に成長させてくださいね。
いつも、いつまでも、応援しています。
いちご相談員からみなさんへ
「命を大切に・愛する人を大切に」
あの大きな地震から1年・・・
みんなはどんな思いで過ごしてきましたか?
私はあの日、みんなと同じように勉強をしていました。
すると突然、壁がミシミシと大きな音を立てて
今までに経験したことのない程の大きな揺れが襲ってきました。
あの時の私は、ただ怖くて、怖くて、不安でいっぱいでした。
みんなもおそらく同じ気持ちであったと思います。
私はこの大きな地震が来た時、次の2つのことが頭に浮かびました。
まず1つ目は、「自分の身は自分で守る」ということ。
地震はいつ、どこで、どれくらいの大きさが訪れるか分かりません。
3月の地震が来た時、みんなは机の下に隠れたり、頭を守ったりしましたか?
いざとなった時、自分のことは自分で守るしかありません。
心の優しい人は、他の人の心配をしてくれていたかもしれません。
あなたの優しい心、大好きです。ありがとうね。
だけどまずは、自分が無事で居ないとね。
日頃の訓練から自分を守る方法を、しっかりと覚えておきましょう。
そして2つ目は、「“大切な人”が居ることは幸せ」ということ。
あなたには、“大切な人”が居ますか?
地震が来てから、電話やメールが繋(つな)がりにくく不安になりましたね。
その時、誰に一番に会いたくなりましたか?
家族、恋人、友達、みんなそれぞれ違うけれど必ず居たはずです。
普段一緒に暮らすことや、学校で会うことが当たり前になっていませんか?
みんなが“大切な人”に出逢えたことは、ものすごい確率でまさに「運命」です。
だから、いつもは恥ずかしくてなかなか言えないけれど
あなたの“大切な人”たちにぜひ、「ありがとう」を伝えてください。
人の命はいつ消えてしまうか分かりません。
“大切な人”が居ることがどれだけ幸せなことか、もう一度よく考えてみてくださいね。
今、日本はだんだんと元気を取り戻してきています。
嫌なこと、怖かったことは誰でも思い出したくないものですが
あの大きな地震を経験したことは、いつまでも覚えていましょう。
みんながこれから大人になっても、
自分の命は自分で守り、愛する人を大切にする心を忘れないで
これからも元気に過ごしていって欲しいと思います。