ピッピ相談員
知っている人が目の前にいたとしても、よく話を聞いてみないとわからない。
もし話す機会があったら、自分の話すことは控えめに、相手の話をじっくり聞いてみよう。その時には、「あいうえお」を意識して。
「あ」と「い」はアイコンタクト 目を合わせて
「う」は頷(うなず)いて
「え」は笑顔で
「お」はオウム返し 相手の言葉を繰り返し共感してみる
すると、あら不思議!自分とは全く違う相手の世界を知ることが出来るよ~。
ミモザ相談員
みんなちがってみんないい
キッチンの蛍光灯が切れた。
脚立に乗って取り換えようとすること30分あまり。二の腕はプルプル、首は重くツラくなるというのにいっこうにできない。
帰宅した高校生の息子に頼むと、わずか3分もかからず取り換えてくれた。
「両端の凹凸をカチッと音がするまではめ込むんだよ。はめる部分がずれてしまっていたから出来なかったんだね」と苦笑い。
私だってスマホで蛍光灯の交換の仕方の動画まで見て何度もトライしたんだけどなぁ…。
人には得手(えて)不得手(ふえて)がある。
苦手なことはちょっと誰かに助けてもらえばスムーズにできることはよくあることだ。
数学や地図の見方、パソコンのエクセル、絡まったアクセサリーを直すこと…
私も誰かに助けて貰ったことを数えればきりがない。
5年ほど前だろうか。
電車に乗った時、視覚障がい者の人に出会った。
その方が電車を降りようと席を立った時、そばに立っていた女性がさりげなく声をかけ、片腕に手を添え、誘導しながら電車を降りることを手伝った。
居合わせた私も、心の中で何かお手伝いをした方が良いのかも…と思いつつ、でもどんな風に声掛けしたらいい?と一人で自問自答をしていたから、女性のとても自然なサポートは今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
もしかしたら、あの女性は家族や友人に視覚障がい者がいたのかもしれないし、福祉の仕事をしていたからあんなに自然な手助けができたのかもしれない。
けれどそれを差し引いても、ほんの少しの手助けが誰かの困った状況を救うことができるのなら、それはとても嬉しく素敵なことだ。
もちろん、相手が自分の知らない人だった時はちょっとした勇気がいるけれど。
それでも、そんなみんなの小さな勇気のつみ重ねは、きっと優しい社会をつくることにつながるはず。
明るくなったキッチンの蛍光灯を見上げながら、私もそんな社会を作る一人でありたいと願った。
うらら相談員
「もし、次、生まれるとき」
突然ですが、3つ、質問があります。
最初の質問は、「もし、次、生まれるとしたら、どんな人になりたいですか?」
この質問を友だちどうしでしたことはありますか?あなたの答えは?
答えはいろいろだけど、今の自分を見直す機会になりますね。
次の質問は「あなたは今、幸せ、それとも不幸ですか?」
学校ではいじめられている? 友だちがいても孤独(こどく)を感じる?
ニュースで地震や台風などの大きな災害にあった人を聞いて、同情する? それとも自分が災害にあわなくてよかったと思う?
幸せか不幸かは他人と比較することが多いですね。
自分と逆の人もいるということですね。
最後の質問は「次、生まれるとき、どんな人になるのか分からないとしても、変わらない考えを持つことができますか?」
あなたは豊かな国で、すごく裕福な家に、健康な体で生まれるかも。
または、貧しい国で、明日の食べ物に困っている家に、体の不自由な体で生まれるかも。それは事前にわからないとします。その前提で、どのような境遇(きょうぐう)になっても変わらない考えをもつことはできますか。
3つ目の質問にいますぐ答えるのは難しいかもしれません。しかし、考えてほしいのです。自分の境遇を横において、性別の違い、障がいの有無、貧富や国籍の違いなど、世界のいろいろな境遇にある人に身をおいて考えてほしいのです。
にこ相談員
学ぶ居場所
1月8日の朝日新聞で「理由なきルール 型どおりの授業 学校がつらい」という記事を読んだ。帰国子女のお子さんが「納得できない学校のルールで学校に行くのがつらくなった」という内容だ。そのルールとは「休み時間は外で遊ぶことになっているので、図書館に行ってはいけない」なぜかと問うと「決まりだから」。布製の筆箱を持っていたら箱型でなければいけない、「決まりだから」などなど。日本ではよくある校則だと感じる。その中で生活することで学べるお子さんや、心地よいと感じるお子さんもいるのだろう。
元来、日本人は「協調性」に長けた「和」を重んじる民族で、古来の日本の風土や環境などを考えると、一つのことを皆で力を合わせて成し遂げることが必要だったのだろう。その名残なのか、人と違うことはおかしいこと、と思う人がとても多い。
今から15年~20年ほども昔の話であるが、私の子ども達もとても大変な学校生活を過ごしていた。我が家は、私が育った環境も、主人が育った環境も、人と同じであることに重きを置かず「みんなそうだから」ということに対して、「自分はどう思うか」ということを考えることで成長してきた。
そんな父と母を持つ子ども達も同じような考え方で成長したのだ。中学校では、「なんか違うぞ、こいつ」といった感じで悪意はないのだろうが色々と構われてしまい3年間ほとんど保健室登校の日々だった。一人はもともとの髪の色が明るく、中学1年生になったときに他の生徒さんがいるところで「髪、染めているだろう。黒くしてこい」と言われ、他の生徒さんが「染めている子」と認識してしまった。その後も美容室で染めていない証明をもらって提出したが「黒く染めないといけない」との攻防(こうぼう)が続き、学校にはほとんど登校できなくなってしまった。そんな子ども達も、今では人に流されず、自分の考えをしっかりと持つことができる立派な大人である。
その新聞には「『教育機会確保法』が、2016年に成立されました」とあった。
これは不登校のために学校で勉強する機会を失ってしまった小中学生に対して、学校への登校を強制せず、それぞれにあった学習環境を保障する不登校の児童、生徒たちを支援する法案。
学校以外での居場所を認めるということだ。例えば公的な機関では教育支援センター、民間の機関ではフリースクール、N中等部などが、学習のできる環境に相当する。 この法案がこれからどのように活用されていくのかは未知数だが、自分の居場所を自分で探せる機会ができたということは少し視野を広げることができるのかなと感じる。
つくし相談員
金子みすずの授業
国語の時間に、金子みすずの詩「わたしと小鳥とすずと」の授業を進めました。わたしと小鳥、わたしとすずを比べ読みをした後、最後の文「みんなちがって、みんないい、」に話し合いの焦点をしぼっていきました。各自、感想や意見を出し話し合っていくうちに、もし、みんな同じだったらどんなにつまらないかということに気が付き始めたのです。そして、授業のクライマックスになると様々な情報や例を出しながら、違っていることは素晴らしいことなのだ、という結論に達したのです。もちろん、指導者や声の大きな子の押し付けではなく自らの気づきや、気持の変容があったのです。友達と意見を交換するうちに考えが、広く大きくひろがり変容していったのです。つまり、1であったものが10から20倍へと膨(ふく)らんだのです。
さて、私の住んでいる町で小学生将棋(しょうぎ)大会がありました。どんどん勝ち進んできた4年生の男の子にアナウンサーが「将棋好きなの」とたずねると、「はい」と言うだけです。そこで「どうして好きなの」と尋(たず)ねると、「おもしろいから」と答えました。では、どうしておもしろいの」と聞いたのです。皆さんはその子どもがどう答えたと思いますか。私はその子どもが何と答えるか、とても興味がありました。その子どもは「将棋というのは、一手一手に変化があって考えれば考えるほど難しいから、それで面白(おもしろ)いの」と言ったのです。
「難しいから面白い」ということは確かにあると思います。皆さんも、「次のクイズは難しいよ」と言われると、皆さんの目も輝くことでしょうね。将棋や囲碁(いご)の好きな中学生や小学生は、難しいから夢中になっているのかもしれませんね。