社会福祉法人町田市社会福祉協議会
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「生きづらさや世の中の空気の息苦しさを感じているみなさんへ」

ピッピ相談員

今、誰もが非常時の中で暮らしています。
危険なものに対して、不安や恐怖を感じるのは、正しい反応です。それは、身を守ろうとする思いから生じるものだからです。

皆さんは、アイザック・ニュートンをご存知ですか?
木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力(ばんゆういんりょく)※1 を発見した人です。ペスト※2 流行で大学が閉鎖(へいさ)※3 になり、故郷に疎開(そかい)※4 していた時に、発見したと言われています。疎開している時も、ペストに対する不安や恐怖とともに、「研究」という夢中になる時間がありました。

夢中になれるものがあることは、幸せなことです。
頭の中を、あなたが大好きなものや、どんどん知りたいことで、いっぱいにしませんか。そして、コロナ禍の中で、自分がどうすごしてきたのかを、「将来の自分」にしっかりと伝えてみませんか。

※1 万有引力(ばんゆういんりょく): すべてのものが互いに引き合う力「引力」を持っているという法則
国立天文台暦計算室「万有引力の法則」
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CBFCCDADB0FACECFA4CECBA1C2A7.html

※2 ペスト: ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis)による感染症です。歴史上何度も大規模な流行の波が人類を襲っています。14世紀のヨーロッパの流行では、人口の3分の1以上がペストによって失われ、皮膚が黒くなる特徴的な症状から「黒死病(Black Death)」と恐れられました。
名古屋検疫所「ペスト」
https://www.forth.go.jp/keneki/nagoya/id/id_plague.html

※3 閉鎖(へいさ): 組織体がその活動や機能を停止すること。
「工場を閉鎖する」「学級閉鎖」
デジタル大辞泉 「へい‐さ【閉鎖】」
https://www.weblio.jp/content/%E9%96%89%E9%8E%96

※4 疎開(そかい): 空襲(くうしゅう)・火災などによる損害を少なくするため、都市などに集中している住民や建物を地方に分散すること。
「工場を疎開する」「学童疎開」「強制疎開」
デジタル大辞泉 「そ‐かい【疎開】」
https://www.weblio.jp/content/%E7%96%8E%E9%96%8B

うらら相談員

「生きづらい。でも、『何か』が待っている」

ここなびの相談件数は160以上になっています(2021年7月末現在)。
その中で、「自分自身・性格・こころ」の相談コーナーに最も多くの相談をいただいています。リストカットがやめられない、などの深刻な相談もありますが、最近は特に、漠然と人生に疲れた、しんどい、もう死にたい、消えたい、など「生きづらさ」の相談が多くなりました。生きづらく感じるのは大人になってからと思っていましたが、若い人も多くなってきて、とても心配しています。「生きづらい」と一言で言っても人によって千差万別ですね。私たち相談員は一人ひとりの悩みを受け止め、寄り添っていきたいと思っています。

「生きづらさ」の実例として、過酷な体験し、「生きる意味」を教えてくれたヴィクトール・フランクルを紹介したいと思います。ユダヤ人のフランクルは第二次世界大戦で約3年、ナチス強制収容所に収容され、奇跡的な生還を果たしました。フランクルは、著書『夜と霧』で収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちを描き、「人生はどんな状況でも意味がある」と考え、生きがいを見つけられずに悩む人たちにメッセージを発し続けました。楽しみがない、幸せが得られそうもない、人生に期待できないといった人々に対し、フランクルはコペルニクス的転回を勧めます。どういうことでしょう? フランクルは「あなたが人生の意味は何かと問う前に、人生のほうがあなたに問いを発している。この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、あなたを必要とする「誰か」がいる。そして、その「何か」や「誰か」はあなたに発見されるのを待っている。」

フランクルのメッセージを理解しても、現実離れしている、自分とは状況が違う、やっぱり毎日がつらい、と思うかたもいるかと思います。そう簡単にスッキリしませんね。
確かにフランクルのようにその後の人生で成功をおさめた人は僅かだと思います。しかし、多くの普通の人たちも一度は人生の大きな苦難、絶望感に出会います。その時、決して人生を投げ出すようなことはせず、フランクルのように未来に希望を託し、生きてきました。

私の体験も少しお話ししたいと思います。実は、私は子どもの時はほとんど悩まずに過ごしてきました。しかし、会社に入って中年期に管理職に就いたころ、人間関係で悩み、やる気が起きない時期がありました。「生きづらい」毎日が続き、まさに人生の危機でした。そのような時、元の上司が「新しい仕事をしてみたら」と声をかけてくれました。その時、私はハッと気がつきました。「新しい仕事」が私を待っていたのです。

フランクルは戦後、講演で、自殺を考えている人に向けてこう言いました。「だから、たとえ今がどんなにつらくても、あなたは人生を投げ出す必要はない。あなたが人生を投げ出しさえしなければ、いつの日か、人生に「イエス」と言える日が必ずやってくるから。いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、「人生」のほうから「イエス」と言って光を差し入れてくるときがいつか必ずやってくるから。」(『それでも人生にイエスと言う』より)

きみどり相談員

「一歩ずつでも、ゆっくりでも動いてみよう」

あなたはどんな時に生きづらさを感じますか。
私は生きづらさについて考える時、「孤独」や「寂しい」という言葉を思い出します。

私の学生時代にこんな出来事がありました。
先生から学級委員長をやってほしいとお願いされ、気づけば3年間委員長を務めました。
人と人との間に入る調整役が時に重荷に感じました。どうして自分だけが、がまんして委員長という立場をしなければならないのか、先生は私の悩みなんてわかってくれない、、、と思いながらも、自分なりに頑張って3年間こなした記憶があります。1年間の中で文化祭や運動会など、特に大きなイベントがある前後には緊張感が高く、悩みをひとりで抱えてしまい、気が重く孤独感を感じることも多々ありました。
そんな自分に言ってあげたい。一言、先生に来年は違う人にお願いできないかと相談してみたり、どうしたらうまくクラスをまとめることができるのか助言を求めてはどうだろうと。たぶん学生時代の私は「相談をして先生にどのように思われるか分からないからはずかしい、きちんと仕事ができない人だと思われたくない」と思い込み、相談してみることは頭に思い浮かぶことなく、ただ先生が理解してくれないことをひとり心の中でなげいていたように思います。しかし自分の気持ちを伝える努力をしていないのですから、理解してもらえないのも当たり前だと今なら分かります。

人に助けを求めることは決して悪いことではありません、むしろ自分の考えや状況を相手に理解してもらうためには必要なことだと思います。そこに気づかず「自分は孤独である」と自分で思い込んでしまっているということもあるのではないでしょうか。
人からどう思われるか、理解してもらえるかと考える前に勇気を持って一歩踏み出してみる。もし理解してもらえなかったとしても、今できる精一杯のことはやってみたと自分自身にまず拍手をし、自分を認め、自分が心地よく過ごせるための方法はないか考えてみる。このような小さなトライアンドエラーを繰り返していくことで何か見えてくることがあると思います。

最近読んだ本の中で強く心に残った言葉に出会った本を最後に2つ紹介したいと思います。
1冊目は『小さないじわるを消すだけで』(幻冬舎、よしもとばなな/ダライ・ラマ14世共著)という本の中でのよしもとさんの言葉です。

―「みなさんの中で、小さくなにかが変わったら、この上ない喜びであります。(中略)私もそのために、毎日、くじけずにこの世の中に参加していきます。(中略)だれもが生きにくく、だれもが孤独を感じています。だからこそ、自分を知り、他者を思いやり、ただ生き抜くことで、人生を楽しみ、全うできることを願います。そうしていきましょう。」―

2冊目は『自分の運命に楯(たて)を突け』(青春出版社)より、本の著者であり芸術家である岡本太郎さんの言葉です。

―「なにかをやろうとするとき、人がそれをどう思うかを考えて不安になり、なかなか思うように実行できない。人の目が気になってしかたがない。でもそれは人の目じゃないよ。(中略)キミが人の目と思っているのは自分の”目”なんだ。」
「もっと平気で自分自身と対決するんだ。こんなに弱い、ならば弱いまま、ありのままで進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。」―

さくら相談員

「生きづらさや世の中の空気の息苦しさを感じているみなさんへ」

コロナ禍の今、多くの人が今までとは違う生活をしなくてはならないことにとまどい、不自由を感じていることでしょう。遊びに行くにも制限があったり、楽しみにしていた行事がなくなったり、制約の中で暮らさなくてはならない上に感染の不安がある生活は、生きづらく息苦しさを感じてしまっても仕方がないかもしれません。

100%幸福で楽しくて素晴らしい生活とはどんな生活なのでしょう。コロナ禍が終わったとしても別の問題が起こる可能性は十分あります。楽しいことがたくさんあっても、別れや悲しみや苦しいことが全くなくなるということは難しいのが現実です。「100%の幸福な理想」と「生きづらく息苦しい現実」との間に折り合いをつけて生きていくのが「人生」だと考えてみるのはどうでしょうか。

先日、甲子園で、逆転のチャンスに恵まれながら雨のために試合終了となって負けてしまったチームがありました。どんなに悔しかったことでしょう。それでも現実は変わらない。悔しさが消えることはなくても、その痛みとともに幸福や楽しみを見つけていくことはできるのです。その試合に出られなかった選手もいます。甲子園が中止になってそもそも目指すことすらできなかった昨年の選手もいます。甲子園のように夢中になれるものがない人もいます。その人たちにはまた違った悔しさがあるかもしれません。人の思いは人それぞれ、比べることなく、自分の中の気持ちと折り合いをつけて、「人生」を生きていきましょう。ここなびはそんなみなさんの人生の応援者でありたいです。

ミモザ相談員

「それでも生きてほしいから」

一日を振り返ったとき、上手くいかなかったことや悪かったことばかりを思い出してはいませんか?
たしかに、上手くできなかったことを反省し、次につなげるための準備や努力をすることは、進歩するためには大切なこと。

でもね、こんな時だから、あえて自分に問いかけてほしい。
『今日、上手くいったことや、心が動かされるようなことはなかった?』って。

「大好きなチームが試合に勝った。」
「いつも眠くなるお昼休みの後、珍しく集中できた。」
「妹に、今日は優しくできた。」
「いつもと違う道を通ったら美味しいパン屋さんを見つけた!」

大きなことじゃなくていいと思う。
今日一日の中で、心がほんわかしたことや嬉しかったこと、ちょっと頑張れたってこと。
例えばいつも人に気を使いすぎてしまう子が、「今日はマイペースに過ごすことができた」なら、凄いことじゃないだろうか。

『ちょっといいこと』を見つけるアンテナは、自分の心の中に立てておかないとキャッチできない。面倒かもしれないし、初めはなかなか難しいかもしれない。
けれど、『ちょっといいこと』は、目立たないけど、ゆるやかに自分をしあわせにできる。

かなわないこと、できないことが多い今の世の中だけど。
うっかりすると不平ばかり言ってしまう、そんな自分も許しつつ、少しだけ思い出してくれたらと願う。
今日見つけた『ちょっといいこと』が、明日のあなたを応援してくれることを。